※IBD(Inflammatory Bowel Disease):炎症性腸疾患。一般に潰瘍性大腸炎とクローン病のこと。

友人関係、勉強……みんなはどうしているの?

友人関係、勉強……
みんなはどうしているの?

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専門医が回答

横山薫 先生

横山薫 先生

北里大学医学部 消化器内科学 講師

先輩患者さんのリアルなスクールライフの中に、「学校でこんなときどうしたらいいのかな?」というギモンの答えが見つかるかもしれません。ぜひチェックしてみてください。

多くの先生方に尽力いただき、卒業を迎えることができました

多くの先生方に尽力いただき、卒業を迎えることができました男性30代 クローン病歴18年

中学2年生のときにクローン病と診断されたが、症状が大変だったのは高校入学後。1年に2回以上入院を繰り返し、高校1年生のときは半分ぐらいは登校できたけれど、2年生のときは登校できない日々が続いてしまった。テストを受けに行って、途中で救急車で病院に運ばれたことも。それでも、学校の多くの先生方が進級や卒業のためにレポートなどいろいろな手段を講じてくれ、どうにか高校生活を3年で終えることができました。高校時代は毎日を過ごすことに必死で余裕はなかったけど、多くの先生方のさまざまな思いを受け取って過ごせたことに感謝!

病気が進路を決めるきっかけに

病気が進路を決めるきっかけに女性20代 クローン病歴12年

部活動に専念するために、高校生のときから下宿していました。発症したのは高校2年生の冬。体育会系の学生が多い下宿だったので、朝晩の食事は脂っこい料理が多く、きつかったので食事内容について相談しましたが、あまりいい顔はされませんでした。ちょうど試験入院をする機会があり、栄養指導を受けたとき、好きなものが食べられないことに納得できず、「自分で勉強すればいいんだ!」と思い立って栄養士を目指すようになりました。それまでは夢も進路も考えていなかったけど、病気が進路を決めるきっかけになりました。

病気が進路を決めるきっかけに
みんなが普通に接してくれて、うれしかった

みんなが普通に接してくれて、うれしかった女性30代 クローン病歴6年

クローン病と診断されたのは高校1年生の春でした。入院後、鼻から経腸栄養剤のチューブを入れて、点滴スタンドをガラガラと引きながら学校に通いました。まだ排便コントロールもうまくできなくて、体調も万全ではなかったし、恥ずかしいし、すごく抵抗を感じながら学校に通っていました。最初の1ヵ月は苦痛でしかなかったけど、クラスや学校のみんなが今までどおりに接してくれたので、途中から「まあ、いいや」と開き直って、苦痛もなくなりました。別に特別扱いをするわけでもなく、普通の接し方だったから、「今までどおりにやっていけるんだ」と思えたのがありがたかったです。

みんなが普通に接してくれて、うれしかった
廊下側、一番前が私の指定席でした

廊下側、一番前が私の指定席でした女性10代 潰瘍性大腸炎歴4年

中高一貫校に通っていましたが、中学2年生のころ症状が出始め、中学3年生の春に「潰瘍性大腸炎」と診断されました。発症後からずっと症状が良くない状態が続いていて、トイレに行くために授業を途中で抜けることも多くありました。ただ、先生方も病気について理解してくれていたので、廊下側の一番前に席を置いてくれ、トイレに行きたいときには「トイレに行ってきます」と言える環境でした。

廊下側、一番前が私の指定席でした
通院時間を工夫して、できるだけ学校へ

通院時間を工夫して、できるだけ学校へ女性30代 潰瘍性大腸炎歴16年

高校生のときは1ヵ月に1度の頻度で病院に通っていました。学校を欠席して授業についていけなくなるといけないので、受診の予約時間を午前の遅い時間にしてもらいました。そうすると、3時間目か4時間目ごろに学校を抜けて、お昼休みの後に帰ることができるんです。できるだけ学校の授業に出られるように工夫して、勉強が遅れないようにしていました。

おなかが弱いキャラで、笑い飛ばす

おなかが弱いキャラで、笑い飛ばす女性30代 クローン病歴4年

クローン病と診断されたのは30代になってからでしたが、学生時代から、常に腹痛や下痢がありました。血便もあったけど、「痔」だと思っていたので、恥ずかしくて親には言えませんでした。でも、学校の友達には「また痔になっちゃった!」と素直に言うことができました。仲間の中にもおなかが痛くなりやすい子がいたから、話しやすかったのかも。授業中はできるだけ痛みに耐えて、限界になったら「先生!痛いです」と手を挙げました。すると先生も、笑いながら「またお前か、行ってこい」と普通に接してくれました。友人も先生も「おなかが痛くなりやすい私」を認めてくれていて、気を使うような環境ではなかったのが良かったです。

プール掃除に青春をささげた

プール掃除に青春をささげた男性30代 潰瘍性大腸炎歴20年

潰瘍性大腸炎と診断されたのは中学1年生のときでした。小さいころから水泳を続けていて、中学校でも水泳部に入りました。発症前は入賞したり、リレーのメンバーに選ばれたりして、もっとがんばろうと考えていました。プールに入るとおなかが冷えて症状が悪くなるため、選手になることはあきらめました。もともと体を動かすことは好きだったので、他の運動部にも入ってみたけどしっくりこず、結局水泳部でプール掃除をして過ごしました。以後、プールで泳ぐことはかなわなかったけど、高校卒業まで水泳部でプール掃除に専念しました。プール掃除に青春をささげたといっても過言ではないと思っています。

プール掃除に青春をささげた
悔しい思いをバネに

悔しい思いをバネに男性30代 潰瘍性大腸炎歴20年

中学2年生のクラス替えのタイミングで、ちょうど入院をしてしまい、クラスメートとなじめなかった経験があります。また、体調が悪い日が続き、ちょくちょく学校を休んでいた時期、先生に呼び出され「いつまでも病気を理由にするな」と説教をされたことも。先生は良かれと思って言ったのかもしれないけれど、当時はとてもショックを受けました。その後も病気に関連して嫌な思いをしたことも少なくなかったですが、その経験が「自分は、どういうふうに生きていくべきか」を考えるきっかけになったと思います。

専門医からのアドバイス

横山薫 先生 北里大学医学部 消化器内科学 講師

ご所属名・役職名は2022年7月13日時点のものです。

担任の先生や保健の先生に病状を説明しておきましょう。学校で薬や栄養剤を内服することに抵抗がある場合は、主治医や薬剤師、栄養士などと内服する時間の相談をしましょう。保健室で内服できるようにしてもらうのも 1つの方法です。給食や修学旅行中の食事なども心配事の1つでしょう。避けてほしい食品などをあらかじめ伝えておけば、対応してもらえる場合も増えています。献立を事前に入手して、栄養士に見てもらいながら相談するのもいいでしょう。

※病歴は症状の認識ではなく、医師の診断を受けてからの年数です。
※掲載しているコメントは個人の意見であり、すべての方に当てはまるわけではありません。

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